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現在でも伝書鳩は、ときどきラジオや電話が通じないばあい、伝言を運ぷ役割をはたしている。 全インドの支配者、ムガール帝国のアクバル皇帝二五四ニー一六〇五年]は回教徒から「地上における神の影像」とよばれていたが、かれも熱心な鳩の愛好家であった。 かれは白分の高官、召使や護衛者たちが同様な情熱をかたむけることを期待した。 乙うして、アクバル皇帝はポカラ、サマルカンドやヘラートにある出先機関には、鳩の飼育にすぐれている者だけを着任させた。 この時代に・鳩を訓練する技術がたいそう高度に達した。 鳩は隊形を組んで飛んだり、または口笛によるある種の合図にこたえて、かなりの距離から鳩舎にもどってきたといわれている。 これらのすぐれた鳩は、ちょうどパレード申の軍入の隊列のように、空申で右や左へと向きを変えた。 かれらは大きならせん状に宙返りし、また訓練者の命令で次つぎにとんぼ返りをした。 アクバル皇帝の鳩は、当時のほかの支配者たちのあこがれの的であった。 ムガール帝国は、鳩を皇帝からの贈り物として、かれらに白由に与えた。 けれども、かれのお気に入りの一羽の[雌]鳩、モハナーだけはけっして手放さなかった。 しかし、この鳩の子孫は遠くヨーロヅパの宮廷までもたらされている。 このインド産の原種の子孫は、現在でも鳩愛好家たちに探し求められている。 当時の年代記によると、ギリシア人は伝書鳩についてペルシア入から教えを受けたといわれる。 紀元前四九二年にペルシアの艦隊がアトス山[ギリシアの北東部]の陰で打ち負かされたとき、船上の鳩飼育者は何千という天かける使者を放って、この敗戦の報をギリシア本土にいるペルシア軍に急報した。 |